塵のつもった日常

日記+健康+漫画+勉強

高校3年生だったときのはなし

なぞ

高校生の頃、「卵が先か鶏が先か」のような答えのない質問を楽しむ友達がいた。その友達は教室への移動時間やお昼時間になると問いかけをすることが多かった。毎回自分なりの答えを伝えると、そこからさらにツッコミを入れてくることがしばしばあって当時の私は辟易していた。問いには答えがなくて、私が出した答えは彼女には納得のいくものじゃなかったのかもしれない。辟易しながらもずっと付き合ってた私は、最終的に考えることを放棄してしまった。彼女からの質問があると、わかんないなーとか、当たり障りのない答えを出し、そこから延々彼女の答えを聞く作戦でやりすごした。高校を卒業したら、その彼女は哲学科を専攻した。

 

母親と高校生の頃どの学年が一番楽しかったのか、と話をしたときに、私は3年生と答えた。母親は驚いた顔をして、はたから見た3年生の私は「いつもつまらなさそうな顔してたよ」と言った。そして、「1年生の頃のほうが楽しそうに見えたよ」とも言った。私はその答えを聞いてかなり衝撃を受けた。なぜって、1年生の頃は、底意地の悪い女が女王様のうわべだけの仲良しグループにいて愛想もこいそもない私は苦痛でたまらなかったから。そして、3年生になってその集団から解放されて、くだんの彼女と2人ペアで行動することが多くなって心底良かったと思ってたから。答えのない質問には辟易していたけど、普通の会話も楽しくしていたし、むしろ自分の気持ちや思ったことをオブラートに包まずに言えてたと思ってたので、自分の気持ちとは真逆のことを感じ取っていた母の言葉は衝撃だった。

 

じゃあなんで彼女との難問のやり取りに自分は辟易してしまったのか。答えなんて出ないとはじめから考えるのを諦めてしまっていた。彼女のつっこみは浅い私の思考を毎回見破られたように思えて恥ずかしかったし、答えの出せない自分が悔しくて情けなかった。あの頃もう少し辛抱強く、なぜなぜと思考を深める訓練ができてたら、と働くようになってから思った。